ケンブリッジ大学 ブリギッテ・シテーガ教授 -ジェンダーロールに文化的背景が与える影響とは-

ケンブリッジ大学 ブリギッテ・シテーガ教授に独自インタビュー

現在、「ジェンダー平等」について様々な議論や取り組みがされている中、実際に日本のジェンダーロールにどのような特徴があるのか、なぜそのようなジェンダーロールが作られたのかを知っている方は多くないのではないでしょうか。

そこでこの記事では、ケンブリッジ大学のブリギッテ・シテーガ教授に文化的背景がジェンダーロールに与える影響や、日本のジェンダーロールの特徴についてお話を伺いました。

独自インタビューにご協力いただいた方
ブリギッテ・シテーガ准教授

ケンブリッジ大学 東アジア研究
ブリギッテ・シテーガ教授

オーストリア出身。ウィーン大学にて修士号及び博士号を取得後、京都大学、明治大学、上智大学、慶應義塾大学での客員教授を経て現職。

日本学研究者、文化人類学者。日常生活の中で当たり前だと思われていること、眠りや清潔感、ジェンダーなどに対する人々の価値観について研究している。

近著として『Beyond Kawaii』、Lit Verlag、2020年、『Cool Japanese Men』、Lit Verlag、2017年、『世界が認めたニッポンの居眠り』、阪急コミュニケーションズ、2013年、『東日本大震災の人類学:津波、原発事故と被害者達の「その後」』人文書院2013年など。

目次

日本学を研究するようになったきっかけ

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:ジェンダーについてお聞きする前に、シテーガ様が日本学を研究されるようになったきっかけがあれば教えていただけますか?

シテーガ教授:特にこれといったきっかけはありません。私は子供の時からいろいろな国に興味があり、外国旅行や人付き合いが好きでした。

そこで、大学に入るときに「日本の研究はどうだろう」と言ったら父から「クレイジーだ」と言われて、それでやっと専門が決まったんです。

その時点では日本のことについてあまり知らなかったのですが、研究してみればとても面白い国だということが分かりました。歴史や文化も深く、人もみんな親切だし、安全な国でいろいろな面で良いチョイスだったなと思います。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:そうだったのですね!ちなみに今研究されているテーマはどんなものなのでしょうか?

シテーガ教授:博士論文として日本の眠りの文化について書いたことがあったのですが、もう一度それについて研究してみようと思い、今は平安時代の眠りをテーマにしています。

それ以外だと清潔感や消費生活の裏にあるごみの分別といった、自然環境・社会環境に関する研究も最近しています。また、震災の際は避難所の生活なども調査しました。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:幅広い研究をされているんですね。

シテーガ教授:私が最も関心を持っているのは、清掃や眠りといったみんなが当たり前のようにしている行為です。こういったところには暗黙的な価値観や道徳、人の考えなどが出てくると思っています。

私たちは眠ること、朝から顔を洗って歯を磨くことなど、普段の生活で当たり前にやっていることが多くあります。それをやらなかったり、全く違うやり方でやったりすると、「何だか気持ち悪い」「正しくない」と思うはずです。

私はこういったものをすべて文化だと認識しています。眠りに関しても意識する人は少ないですが、そこには何らかの価値観があるのではないでしょうか。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:眠りに価値観があるというのは考えたことがありませんでした。ジェンダーについても同様に独特の価値観があるのでしょうか?

シテーガ教授:そうですね。私は最初、ジェンダーについて勉強しようとは思っていませんでした。

しかし、どんな社会の場合もそうですが、特に日本社会の場合はジェンダーを意識していないと分からないことも多いと思います。特に、日常生活のことに関してはジェンダーが密接に関わっているのです。

日本におけるジェンダーロールの変遷

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:日本社会を知るためにはジェンダーのことを知らなければならないというお話でしたが、実際日本におけるジェンダーにはどのような特徴があると思われますか?

シテーガ教授:まず初めに、ジェンダーにはよく、男性と女性は極端に違う2つであるという「二極分化」という考え方があります。

一方、ジェンダー研究の場合は二極ではなくスペクトラムで捉えます。例えば男性らしくない男性、いわゆる女子力が高くない女性、LGBTQの人たちがそれに当たります。彼らは虹色を象徴にしていますよね。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:確かにジェンダーを考える際は二分してしまいがちですよね。最近は性別もグラデーションになっていると聞いたことがあります。

シテーガ教授:そうですね。それで、どんな国であっても「男性はこう、女性はこう」というロールを与えます。

この二分化やロールの役割は歴史的にも変わっていくのですが、日本の場合は明治時代が顕著です。

特に、女性の「良妻賢母」という概念が分かりやすいでしょう。明治時代前は外国と接触する機会が少なかったこともあり、みんな「自分は日本人だ」という意識が強くありませんでした。

しかし、明治時代に入ってからナショナリズムと国民性を作るために政府は何か手を打つ必要がありました。その時、他国を真似して始めたのがはっきりした男女別のロールを与えることです。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:良妻賢母の概念は古くなりつつありますが、今でも根付いている部分はありますね。

シテーガ教授:はい。男性は直接国のために働き、女性は夫にとっての良い妻、子どもを良く育てる母としての役割を与え、良い国民が育つような環境を作ろうとしたのです。

このロールを果たすことは、当時の日本人にとって責任の1つとなっていたのです。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:明治時代前はそういったロールがなかったのでしょうか?

シテーガ教授:いいえ、もちろん明治以前でも男女の差はありました。ただ、家族全員で家業をすることが一般的だったので、役割分担はそこまで重要ではなかったのです。

社会的な制度としても男女差はありましたが、それ以上に身分制が強かったというのも1つの要因としてあるでしょう。一方、明治時代は身分制度がだいぶ廃止されたので、ジェンダーの方で制度が確立されるようになったのです。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:文化的な背景がジェンダーに大きく関係しているのですね!具体的に、男女の役割の違いはどういったところに現れたのでしょうか?

シテーガ教授:生産労働と再生産労働の担い手は大きな違いだと思います。

生産労働とは工場や企業で何かを作り、それに対して給料をもらう労働です。一方、再生産労働とは食事を作ったり家事をしたり、将来の労働者を生んで育児をしたりすることなどを指します。

こういった労働については、かなりジェンダーで分類されました。具体的には、男性は外で生産労働をして、家と非生産労働は女性が行うといったような形です。

農家であればみんな一緒に仕事をしていたから、ある程度は分類されても一応一緒に仕事をしていましたが、都会の場合はよりその差がはっきりとしていました。

ここで大切なのは、外の仕事はお金をもらって、権力ももらえるということです。女性の家庭を守る役割を楽だと思う人もいるかもしれませんが、お金も権力もない状況が制度として作られてしまったのです。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:制度として確立されてしまうと、そこから脱却するのは中々難しいようにも思います。

シテーガ教授:そうですね。しかし、戦後になると女性の役割にも変化が訪れました。核家族の増加もそうですが、何より役割に対して感情が出てきたというところが大きいと思います。

明治時代の場合、良妻賢母はあくまで役割でした。ですから、良妻賢母になることは義務であり、そこには特定の感情がなかったのです。

しかし、戦後になると良妻賢母としての役割の中に「子どものため」「夫のため」という女性の愛情が入るようになってきました。つまり、男性は外で働いて女性は家事をするということが任務としてではなく、愛情のため、家族のために行われる体制になり始めました。

戦後体制では、こういう核家族や役割分担はより進んでいました。しかし、結婚、育児 や家事、介護するのは女性の国民的義務というよりも女性の本質、または幸せのもとだと言われようになりました。母性が愛情から生まれる概念を導入して、自然・常識になりました。

ただ、実際に男性だけが外で働いて収入を得ることは一切ありませんでした。この役割分担は中級階級のアイデアであり、女性は子供が育つとパートタイム労働者として従事していたのです。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:戦後で稼ぎ手が足りない状況だと、女性が外に働きに出るのも不自然ではないですよね。

シテーガ教授:はい。しかし、女性の第一優先はやはり再生産労働でした。例えば、結婚して子供ができて家事をするのは再生産労働です。ただ、そこからさらに外で勉強、仕事をする生産労働が求められました。

最近は戦後体制も崩れてきて、女性も外で仕事をしたい(キャリアが欲しい、社会参加したいという意味の仕事)という要望は叶えられるようになってきましたが、女性が元々の役割(再生産労働)をやってから外で仕事をできるという風潮は今も残っているように思います。

ですから、日本のジェンダーはすごくはっきりしていて、二極分化が進んでいるという特徴があるでしょう。

現代社会におけるジェンダーロールとは

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:現在、日本でもジェンダー平等について様々な取り組みがされています。そんな現代社会におけるジェンダーロールというのはどのようになっているのでしょうか?

シテーガ教授:やはり、女性の第一優先が再生産労働というのは変わりないと思います。

会社に入るまでは良かったけれど、だんだん課長とか部長になることが難しくなっているというのは聞いたことがある方も多いはずです。

また、女性の元々の責任は家庭にあるため、それをこなしてから外に出て仕事をすることが求められます。その過程で睡眠を削るなど、自分自身の生活を犠牲にしている方もいるでしょう。

また、男性も「イクメン」という言葉が流行ったように家庭の責任を負うようにもなりましたが、第一優先が生産労働というのは変わりません。日々大変な仕事をこなして、そこからさらにプラスで家事を手伝うという感じになっているのです。

こういった二極分化は世界中で見られますが、特に日本や韓国では強いと言われています。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:そうなのですね!実際、そういった二極分化は数字にも表れているのでしょうか?

シテーガ教授:例えば、イギリスは男性に比べて女性が約1.8倍の再生産労働をしていると言われています。一方、日本の場合は女性の家事負担が男性の5.5倍となっているのです。(男女共同参画白書・平成30年版)

これは戦後体制が二極化していたことが原因だと思われますが、様々な改善がされている中でも「基本的な制度は壊されなかった」というところも大きいと思います。

日本経済はこの制度で強くなりましたが、もっと良くするために「そもそも制度として問題があるのではないか」という風に制度を見直すことは全然考えていないのです。

歴史的に見ると、女性は外へ出て家事や育児も高いレベルを要求されています。日本の場合、教育や料理の支度、掃除などは他国に比べてすごくレベルが高いんです。

ですから、女性は自分の生活を犠牲にしたくないから子供を作らない、結婚しないという傾向が強くなってきています。これは男性でも同様ですが、特に女性に見られるようになっているのです。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:確かに「結婚したくない」「子どもは欲しくない」という声は年々増えてきているように思います。

シテーガ教授:そういった声は30年前から上がっていて、政府はそれを解決するために様々な改革をしました。しかし、根本的な制度は変わらないままなのです。

制度としてみんなそれぞれはっきりとした区別や役割があるという概念は、日本では特に強く感じられます。普段意識せずとも、暗黙の了解として区別があることを感じる方もいらっしゃるでしょう。

例えば、「男の子は泣いてはいけない」「お姉さんらしくしなさい」といったように、男性らしさ、女性らしさというのは割とはっきりしているんです。ですから、その役割から逃げたりやめたりすることが非常に難しいと思います。それと、女性はキャリアがあっても、良い生活ができても、結婚したり、子供を産んだりしないと、自分は「負け犬」だという思う人は少なくないでしょう 。

また、政治家としてもそういった区別を変えたくないという思いがあるのではないでしょうか。国民性を作るためには、はっきりとした区別・役割を決めるのが良い方法だと思っているのです。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:国民性を作るのにある程度の役割はあっても良いのかもしれませんが、そうなると不自由なことも多いですよね。

シテーガ教授:家庭の責任がほとんど女性に向けられることはあると思います。例えば、子どもを朝から晩まで保育園に預けたら、それは「お母さんの責任だ」とみなされます。他にも、子供が病気になったらお母さんが看病すべきだと言われることもあります。

もちろん、100%女性の責任になるかと言われるとそうではありません。しかし、その責任を果たすために仕事を辞めたり、キャリアアップを諦めたりするのは女性が多いのです。

一方、男性は子供がいても家庭の責任を負うことはあまりありません。妻に「手伝っている」態度で、自分のキャリアにマイナスなるほど病気の子供のために会社を休んだらするお父さんは滅多にありません。それは生産労働の担い手であるという前提があることや、単純にもっとお金が必要で、その責任を負わなければならないからです。

こういった「人間よりジェンダーの方が大切」という固い概念はあまり変わっておらず、それによって男性も女性も辛いことはたくさんあるかと思います。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:そうですね。小さい頃の教育でも、「女の子は家庭科、男の子は算数が得意でなければならない」というように、男女でできること・できないことが明確に区分されていました。あれも一種の固い概念だと思います。

シテーガ教授:そうですね。女性の場合、それにプラスして「仕事ができる」というのも増えてきていると思います。

基本的に、「女の子だからそれぐらいはできるでしょう」という考えは日本だけではありません。例えば、私には弟が3人いるのですが、母が娘達にも息子達にも「家事を手伝って」と頼んだ時に、子供でもやりたくない時はあります。そういう場合は、母の反応は娘達に対して厳しかったですが、弟達の場合は「言ってもやってくれない」と諦めました。

もし仮に、私が「手伝って」と言われる立場であったなら「やらない」と返すことはできないでしょう。対等に育てることを意識していても、やはりどこかで「女だから、男だから」というのは出てきます。

そうすると、どんどん自分の生活の幅が狭くなってしまいます。今お話ししたように、「女/男だから○○」というのは世界中どこでもありますが、日本はその傾向がより強いと言えるでしょう。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:ありがとうございます。日本は制度としてジェンダーの区別がはっきりしているというお話でしたが、シテーガ様が日本に滞在される中でそれを実感した場面などはあるのでしょうか?

シテーガ教授:私もオーストリアでジェンダーによる差別はすごく感じていました。実際、私の親の時代(戦後の労働階級のケース)では賢い女性であっても大学に行くことができなくて、男性だけが高校や大学に進学することができたのです。

こういった差は実感していたものの、日本はその概念がより固いことにショックを受けたことはあります。

昔、夫婦ともに高校教師をしている友人の家にいった時、嫁の方だけお父さんから「朝ご飯を作りなさい」「家事をしなさい」と言われていたんです。

今はそれほどでもないかもしれませんが、固い役割があるということは実感しました。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:オーストリアでのお話にもあったように、世界中でジェンダー問題は起きていると思います。具体的に、他国と日本のジェンダーの違いというのはどういったところなのでしょうか?

シテーガ教授:世界中で見ると、日本は教育や衛生に関する点はあまり差別がないんですね。いろいろ問題はありましたが、基本的には女性も教育に参加できるし、医療に関しても問題なく受けることが可能です。

また、日本の場合は母になると一気に立場が変わる点が特徴的だと思います。

「母は女ではない」ということを言われた知り合いがいるのですが、妊婦になると「あなたは今から母親です」というように、女性という立場ではなくなることがあるのです。

特に、妊娠すると髪の毛を短く切ったりスタイルも変わったりして、「もう性的な対象の人間ではない」と見なされる感覚が社会的にあると思います。子供ができると、その子供をbabysitterに扱って、夫婦で遊びに行くことはまずないです。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:確かに母親と女性は別物として扱われていることはあるように思います。

シテーガ教授:一方、ケンブリッジ大学では女性は戦後からでしか卒業できなかったという事実があります。20~30年前にやっと卒業式がありました。

本当にひどい話ですが、いまでも数学や物理学で男性の割合が多く、男性だからできる、女性だからできないという意識はヨーロッパも結構強いのです。

エンジニアなどの職を女性も就けるようにするための活動などはあるのですが、脳の差があるから向いていないという話はよく聞きます。すると、学校側も「女性にはできない」と考えてしまったり、女性自身も興味がなくなってしまったりするのです。

また、オランダの研究で、中学生くらいの女性に好きな人ができると、実際よりも馬鹿なフリをする傾向があることが分かりました。

彼女らの中には、小学校では頭が良いのに中学になると馬鹿なフリをして、それが癖になってしまい本当に勉強ができなくなってしまった子もいます。

つまり、男性は女性に頭の良さをあまり求めておらず、賢すぎる女性は怖いと考える人がいるのです。

もちろん、賢い女性を求める男性も、馬鹿なフリをしない女性もいます。しかし、馬鹿なフリをしていない女性の場合はいじめられたり、プレッシャーがあったりします。

国によって微妙に違うところはあると思いますが、こういった点はどこも共通しており、なおかつ変えにくいものではあるでしょう。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:異性に魅力的に見られるためだけでなく、他者との関係性を維持するためにもそういったフリをしてしまう傾向は世界中で見られるのですね。

女性が社会進出していくために必要なこととは?

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:ジェンダー問題は根深いものなのですね。実際に女性が社会進出する中でも、様々な障害がありそうです。

シテーガ教授:女性の場合だと、リーダーシップのロールが思いつきにくいというのも社会進出しにくい原因の1つだと思います。

例えば、ドイツ初の女性首相であるアンゲラ・メルケルさんはご存知ですよね。

彼女はみんなに「ドイツのお母ちゃん」と呼ばれていたんです。彼女は元々量子化学の研究者ですごく賢い女性で、権力があるにも関わらず「ムティ(お母ちゃん)」というあだ名がありました。

歴代の大統領たちはみんな男性なので、本当に良妻賢母のような扱いだったんですね。つまり、女性は女性としての魅力がなくなることでリーダーシップを得るか、お姉さんやお母さんといった家族的な役割を与えられるかという2択を迫られるのです。

このような状況の中、企業で女性がリーダーシップを取るのは非常に難しいことだろうと思います。ジェンダーの固定概念はこういった点において大きな障害だと言えるでしょう。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:近年は女性のリーダーも増えてきていますが、その数もまだまだ少ないので、一般の方からしたらリーダーシップを得られるイメージが薄いのかなとも思います。

シテーガ教授:そうですね。一般の職場の中だと、なんでもできるお姉さんといった立ち位置になりやすいと思います。この場合、お姉さん止まりでリーダーシップを発揮するのは難しいのです。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:そういった状況にならないために必要なこととは何でしょうか?

シテーガ教授:企業側が指導する際に、難しいこともできると期待してあげることだと思います。

男性でも女性でも、誰かから期待されていれば「やるしかない!」となって、何かしらできることが生まれるはずです。逆に言えば、誰からも期待されないとやれることが少なくなってしまうのです。

私も学生に指導する時はみんなに「できるよ」という風に声をかけることを意識しています。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:ありがとうございます。誰かが期待してくれるような環境にあることは、自分の力を発揮する上で大切だろうと思います。

今は企業側の目線でお話していただきましたが、女性側がリーダーシップを育むために意識しておくべきことなどはあるのでしょうか?

シテーガ教授:難しいとは思いますが、グループ・メンタリングに参加してみることをおすすめします。

私がウィーン大学にいたころは、4人の女性で別の学部の人に指導をしてもらうグループ・メンタリングというものがありました。2か月に1回くらいあったのですが、指導者の人と自由に悩みを話したり、コミュニケーション能力の指導を受けたりしていたのです。

指導者の方とは権力関係がないし、少人数のグループだったので、話しているうちにいろいろなテーマが思いつきました。

グループ・メンタリングがあることで、お互いの何が問題なのかが分かったり、自分に自信を持てたりします。こういったコミュニティに参加するのは良いかもしれませんね。

一般社団法人日本スポーツ広告協会編集部:ありがとうございます。最後に、女性の方に向けてメッセージをお願いします。

シテーガ教授:女性は自分の気持ちを大事にしてください。もちろん、他の人と気持ちをシェアして一緒に良い方向性を探っていくのも大切です。しかし、何より自分の気持ちを大事にするというのが一番大事だと思います。

また、疲れるかもしれませんが、人との会話を通じてお互いを理解し、自信を持てるような関係性を築けると良いのではないかと思います。話している内に喧嘩や対立が起きることもあるかもしれませんが、当たり前に他人に期待することも大切です。

例えば、家事のことは自分ばかりやっているから、ボーイフレンドに「手伝ってくれないか」と聞くのではなく、どっちがやりたいのか、どっちが好きなのかという風に役割をシェアしていくのも1つの方法です。

自分が期待されたいのであれば、男性に対しても家事などの役割に対して当たり前のように「できるよ」と期待することが必要なのではないでしょうか。

「ちょっと手伝って」ではなくて「よろしくね」と言う方が自然で、より良い関係を築けると思います。

こういう関係性を築いたり、教育したりすることは確かに大変だと思います。しかし、女性も自信を持つこと、他人に期待することを大切にしていってほしいです。

2024年3月28日 記事公開

目次